初めまして。
心配性かあさんの、おぎんです。
マスコットキャラの、いっぬだよ
この度は、「心配性 かあさん」に来てくださり、ありがとうございます。
この記事では、私のこと、ブログのことを綴っています。
おぎんってどんな人?
2歳、0歳の子を持つ30代母。
上の子の妊娠を機に仕事を辞め、現在は専業主婦になる。
どうして心配性になったの?
幼少期
4人兄弟の末っ子として生まれた私は、自分の母が友達の母よりも高齢なことから
「自分の母は他の母よりも早く死んでしまうかもしれない」という恐怖心があった。
その恐怖心から、母の健康状態をチェックするのが日課になる。
夜中に目覚めて、隣に眠る母の寝息を確認。寝息が静かすぎたら胸元が上下に動いているか目視確認。どちらも確認が難しい場合は母をゆすって反応があるか確認。
健康診断への呼びかけや、診断結果の確認。
大好きな母を絶対に失いたくないという使命感が私を突き動かしていた。
社会人
地元を離れ、熊本県の会社に就職。
2016年4月14日、一人暮らしのアパートで震度6の地震を経験する。
アパートは鉄筋コンクリート造りだった為倒壊はしなかったが、一人で不安だった為翌日鹿児島にある親戚の家へ避難。(このため4月16日にあった本震は被害にあわなかった)
通行止め規制が緩くなった頃アパートへ戻る。
家の中は冷蔵庫が倒れ食器が割れるなど、地震による被害はあったものの、電気・ガス・水道は普段通りに使えた。(復旧した後に帰宅しただけかもしれない)
隆起している道路、真ん中からグニャリと潰れているスーパー、市役所内で寝泊まりしている人々、自衛隊車が常駐している様子、全てが今までの光景と全く違っていた。
もしあの時親戚宅へ避難していなかったら・・・もし自宅が倒壊していたら・・・どれほど不安で怖い日々を過ごしていただろう、と周囲を見渡して胸が苦しくなった。
それと同時に、自分が無傷で生きていたのはたまたま運が良かっただけなんだと思った。
この経験から
”運まかせ” ではなく ”確実に生き残るため” にはどうしたらいいのか考えるようになる。
結婚
結婚後すぐ父の病気(膵臓癌)が見つかる。
糖尿病もちで長年定期的に病院に通ってきていたにも関わらず、癌が見つかった時には既にステージⅣだった。
元気だった父がみるみる痩せて動けなくなり、癌発見から10カ月でこの世を去ってしまった。
幼少期からあんなに恐れていた親の死。
振り返ると、父は癌が見つかる1年くらい前から少しずつ痩せてきていた。少しずつ疲れやすくなってきていた。その変化に気づいていたのに「年のせいかな?」と見過ごしてきたことが悔しくてたまらない。
この悔しさを繰り返したくない思いから、残された母、新しい家族の命を守る使命感がより一層強くなる。
長々と綴りましたが、こうやって私の心配性が出来上がりました。
震災や親の死は本当に辛いよね。
とても辛かった。
だからこそ、この経験を活かしていきたいんだ。
それに私と同じように家族を守りたいと思っている人は多いと思うの。
そういう人達に参考になるような記事を書いていけたら嬉しいな。
それはいいね!
見てくれている方からもっと有益な情報も教えてもらえるかもしれないよね!
うんうん
多くの知恵で大切な人たちを守っていこう!
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